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高橋真梨子の父親と母親について!病気や激ヤセの理由をチェック!

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こんにちはJINです。2017年もスタートして、日常の生活に戻った感があります。インフルエンザが大流行してるそうなので皆さんお気を付けください。さて、1月6日の金スマで歌手の高橋真梨子さんが珍しくバラエティ番組に出演されます。なんでも体重が32kgという激ヤセをされたそうで、病気などが心配されています。またご両親についても、父親や母親の内容を明かすということでその波乱万丈な人生について、まとめてみました。

 

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まずは高橋真梨子さんの
プロフィールがこちら!

 

プロフィール

 

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名前:高橋真梨子

本名:広瀬まり子

出身:広島県廿日市市

育ち:福岡県福岡市

生年月日:1949年3月6日

年齢:67歳

 

経歴

 

1949年、戦後間もない時代に
広島県に生まれた
高橋真梨子さん。

 

現在、日本を代表する
実力派シンガーとして
その地位を確立し、
戦後の日本の音楽業界に
貢献した一人といってお
過言ではないでしょう。

 

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ご両親とも、戦時中、
広島の原爆投下により被爆。
その後、米軍基地が当時あったことで
ジャズが盛んになっていた福岡へ
プロのクラリネット・サックス奏者として
活動されていたお父さんの影響で
博多へと移り住みます。

 

しかし、その後ご両親は離婚し、
お父さんは広島へと戻り、
高橋さんとお母さんは
博多に残ることに。

 

幼い頃に音楽家を夢見ていた父に
影響を受けた高橋さんも
歌手を試みて、音楽の道へ
進むことを決意します。

 

16歳になると上京し、
渡辺プロのもとでレッスンを受け、
1966年にスクールメイツの一員として
芸能界デビューを果たします。
意外にもデビューは歌手としてでは
なかったんですね。

 

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しかし、その後自分のやりたい
音楽の方向性との違いから
一時が芸能界から身を離れ、
地元博多へ帰りますが、
1978年にソロとして再び
芸能界で歌手として活動を再開。

 

そして1984年、
名曲「桃色吐息」が大ヒット。
紅白出場も果たすことになりました。

 

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その後も「for you…」
「はがゆい唇」など
ヒット曲を連発。

 

さらに1996年には
火曜サスペンス劇場のエンディングに
起用された「ごめんね…」が
中高年層の女性の支持を得て、ヒット。

 

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リリース当初は話題にもならず
初登場18位だったにも拘わらず、
この楽曲をテレビを見た視聴者の反響で
徐々に売上を伸ばしていき、
47週間もの間、100位以内に留まり
結果、90万枚の大ヒットとなりました。

 

筆者も子供の頃、
この「ごめんね..」、を
火曜サスペンスで聴き、
良い歌だなと思ってました。

 

高橋さんのちょっとハスキーな
声も相まって、切なく、
でも大人の女性の歌という
印象があり、親も好きでした。

 

大人になって、
改めてこの曲を聴くと、
男の筆者でも共感でき、
恋人に対する不誠実だった
過去の自分を悔いている内容に
ウルっとくるものがありました。

 

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特に一番好きな歌詞が
何処にあるの?悲しまない国」という
フレーズがとても印象的で
失恋した時などは
よく聴いていましたw

 

現在もテレビ出演などは
以前ほどはなくても、
定期的にコンサートをされており、
先日、WOWOWでも
海外で開いた彼女のコンサートが
放送されていました。

 

現在67歳とは思えないほどの
圧倒的な声量と音域に
数少ない逸材の歌手と
言わざるを得ない方です。

 

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また高橋さんの良いところは
決して、お高く留まっておらず、
良い意味で性格が普通なんです。

 

20年ほど前、
この「ごめんね…」がヒットし、
ダウンタウン司会の音楽番組
「HEYHEYHEY」に出演した時、
高橋さんのおとぼけなキャラに
ダウンタウンのふたりも思わず、
「もうこうなったら呼び捨てやっ!
おいったかはしぃ~!ww」と
言っているのを見て、本人も
爆笑している模様がありました。

 

ダウンタウンからしても
大先輩の高橋さんなのに
笑って楽しんでいる姿に
自然体の人なんだなと
感じたのを覚えていますw

 

10・20代はおろか、
30・40代の女性だって
鹿野市出せない高橋さんの歌の
世界観は戦後の激動の時代を
生き抜いてきた彼女の
人生が物語っているように思えます。

 

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それだけ、苦労を
重ねてきた人生だったのだろうなと
無条件の敬意を
抱いたように感じました。

 

父親と母親について

 

さて、そんな高橋真梨子さんですが、
前述の通り、広島出身のご両親は
戦時中、原爆により被爆されています。

 

すでにお父さんは37歳の若さで
この世を去っており、
離婚後に広島に戻った際、
入市被爆(原爆後に広島市内に
残った
残留放射能により
被爆すること)によって
その後遺症から
お亡くなりになっています。

 

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被爆の影響からか
脱疽と呼ばれる
血液の病気を患い、
身体の傷口から壊死して
いくというものでした。

 

免疫力がないため、
ちょっとした病気でも
命取りになるものでした。

 

ある日、
足の親指を切ったことから
壊死してしまい、結果、
足を切断することに。

 

働けなくなった父の代わりに
母親がキャバレーで
働くようになりますが、
父は申しわけない気持ちから
二人の元を離れて故郷広島へ。

 

こうして、高橋さんは
母子一人の身となりました。
夜仕事に出る為、
高橋さんは毎晩、同じように
夜働く親の友人と一緒に
夜過ごしていたそうです。

 

やがて、母親は
同じ職場のボーイと恋仲に。
家に入り浸るようになりましたが、
時には言い争う時も増え、
高橋さんにとって、家は
安住の地ではなくなりました。

 

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不倫相手に暴力を振るわれても
なお相手を愛し続ける母親に
高橋さんは怒りを覚えるように。

 

学校でも内気な性格になり
辛い日々を過ごしますが、
唯一幸せを感じる瞬間が
歌を歌っている時でした。

 

しかし、両親はその後
正式に離婚し、母親は
不倫相手と再婚。
暴力をふるい続ける不倫相手と
別れない姿に憎しみが
さらに増していきます。

 

気付けば、母親は
片目が見えない程
ひどい状態になっていましたが、
思春期の高橋さんにとっては
「自業自得だ」とより
憎しみを感じるようになりました。

 

この頃になると
高橋さんは広島にいる父親を
尋ねるようになり、
その日暮らしでもジャズで
生活している父親が
大好きだったと言います。

 

「歌手になりたいんだ」

 

父には自分の夢も
素直に話せたと言います。
しかし、歌手の夢は認めても
芸能界入りは反対だという父。

 

芸能界じゃなく
ジャズの道を進んでほしいという
思いがあったのではと
高橋さんは後に回想しています。

 

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しかし、不幸なことに
その後すぐ、原爆の後遺症により
父親は37歳でお亡くなりに。

 

この時、訃報を聞いた
母親は泣き崩れ、
高橋さんに抱きつきますが、
それを振り払うほど、
高橋さんの母親への憎しみは
強くなっていました。

 

母親との確執~歌手へ

 

父親の訃報からしばらくして
高橋さんの歌声の評判をしった
芸能関係者が彼女をスカウトします。

 

父の意思を継いで
芸能界よりジャズに進みたいと
思うようになっていた高橋さんは
それを断ろうとしました。
しかし母親に相談すると
母は一言。

 

「行きなさい」

 

「母は一度わたしから
離れたいと思ってたのかも
もしくは親から一度離れてみなさいって
ことだったのかも」と
高橋さんは当時を
そう振り返っていました。

 

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その後、スクールメイツとして
芸能界入りした高橋さんですが、
違和感を感じるようになり
すぐに博多へと戻ります。

 

もう芸能界には戻らない。
そう考えていた高橋さんですが、
そんなある日、運命の出会いが。

 

1972年、東京で活動していた
ヘドロ&カプリシャス」のボーカルが
突然失踪したことで、予定していた
スケジュールをこなせなくなり
その代役として、当時歌声に評判のあった
高橋さんを2代目のボーカルとして
スカウトします。

 

高橋さん本人は
一旦は話を断るも、
メンバーからの熱心な誘いから
1年だけという期間限定
話を受けることにします。

 

そしてここから、
「高橋真梨子」の歌手人生の
歯車が動き出すのです。

 

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1973年に
ジョニィへの伝言」、
五番街のマリーへ」が大ヒット。
翌74年には紅白初出場を果たします。

 

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そして1978年からソロへ転身し、
数々のヒット曲を連発します。

 

前述の通り、
「for you…」「桃色吐息」
「はがゆい唇」「ごめんね…」など
多くの女性の支持を経て、
トップアーティストへと
上り詰めていきました。

 

ハスキーな歌声から
醸し出させる切なさ、儚さ、
そして強さ、逞しさ、
そういった多くの情緒あふれるものが
多くの人を魅了し、結果、
現在に至るまで、30年以上に渡り、
トップで活躍されています。
ご本人はこう言います。

 

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「私の声ってね、
周りから言われるんだけど、
太陽みたいに明るい声と
どん底みたな悲しい声と
両方があるっていうんです。」

 

本人はそれを自覚していないように
お話を聞いていて感じられましたが、
それは歌手という人間にとって
とても大事な要素ですよね。

 

悲しみも喜びも
苦しみも嬉しさも
あらゆる感情を
表現できてこその
歌手だと思います。

 

結果論かもしれませんが、
ご自身のこれまでの
波乱万丈な人生を
すべて、歌につなげて
生きていらっしゃるなと思いました。

 

母との現在の関係

 

歌手として不動の地位を築き、
更にはヘンリー広瀬さんと結婚、
公私ともに順調だった高橋さんですが、
母親との関係は依然として確執があり、
唯一のつながりは高橋さんが毎月
母親に送る仕送りだけでした。

 

その後もずっと
当時の不倫相手と
生活を続けていた母親に対し
気持ちの整理が
つかなかったのでしょうね。
気付けば年月は39年も
経っていました。

 

そして1998年。
故郷福岡の病院から
高橋さんのもとに電話が。
ガンが見つかり、余命半年との
悲しく辛い宣告でした。

 

実はお母さんはこの頃、
すでに不倫相手が他界し
スナックを経営しながら
一人寂しく生活していたそうです。

 

その現状についに
いたたまれなくなった高橋さんは
夫と共に福岡へ帰福。

 

こうして徐々に
二人の時間がまた
持てるようになっていきました。

 

そしてやがて、高橋さんの中にも
デビュー当時、母が心配して
東京まで駆けつけてくれたことなど
良い思い出がよみがえるようにあり
ようやく、心のわだかまりが
溶けていったそうです。

 

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お母さんは
体調が良い時には
高橋さんのコンサートにも行き、
二人の時間はこうして
時間を取り戻していきました。

 

しかし皮肉にも
その後、お母さんは
余命の半年を待たずに他界。
一緒にいられた時間は
わずか4ヵ月でした…。

 

母親の遺品整理の為、
自宅に戻った高橋さん。
するとそこには…。

 

これまで高橋さんが出演した
歌番組の録画ビデオの山、
取材を受けた雑誌の切り抜き、
そして仕送りを続けていた預金通帳が
一切手が付けられていない形で
見つかったそうです。

 

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わだかまりが解け
お互いの距離を縮め、
失った時間を取り戻すには
あまりに短い4ヶ月でした。

 

実は高橋さんの楽曲に
フレンズ」というものがあり、
高橋さんが書いた歌詞の中、
この曲の冒頭のフレーズに
こんな一節があります。

 

「修羅場の如く生きた
青春の抜け殻」

 

しかし、内容があまりにも
高橋さんのイメージに
合わないとのことで
リリース時には
「煌めいてた
そして戸惑う青春だった」
という風に優しい感じに
修正されていました。

 

しかし、お母さんは
この変更の内容に
当時、猛抗議したそうです。

 

「修羅場の如く生きた
青春の抜け殻」

 

原爆により、戦争により、
激動の人生を生きた
母親にとって、それらの言葉は
かつての自分を
代弁しているように思えたのでしょう。

 

そしてそれはある意味、
自分の娘への贖罪の
意味もあったと思います。

 

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物凄い人生ですね。
高橋さんもそうですが、
おかあさんにとっても
辛く、長い人生だったと思います。

 

戦争という時代に生まれ、
我が子を育てる為には
手段を選べない時代だったんですね。

 

お母さんはかつて
ヘンリー広瀬さんに
こう話していたそうです。

 

「わたしはなんもできんかったけん。
なんもできん人間やったけん。
でも唯一自慢できることがある。
それは真梨子を産んだこと。」

 

そしてお母さんが亡くなった後、
高橋さん自身、
自分の過去を振り返り、
ようやく整理がついたようです。

 

「だからわたしは頑張って
歌い続ける」

 

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もしかしたら、高橋さんにとって
歌うことはお母さんへの
感謝と罪滅ぼしの意味も
あるのかもしれません。

 

激ヤセの理由は病気?

 

さて、最後に
ここ最近の高橋さんを見ていると
以前に比べ、かなり
激ヤセされたように見えます。

 

以前の高橋さんの
画像がこちら。

 

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そして現在の
高橋さんがこちら。

 

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かなり痩せてますね。
2016年に紅白に出場した際も
その痩せ具合に視聴者から
驚きの声がかなり上がったようです。

 

なんと現在体重が
32kgしかないとのこと!!
えぇ!!!!

 

身長155cmと確かに
低めですが、それでも
32kgというのは
やっぱり普通の体重ではないです。

 

調べてみたところ、
実は過去に更年期障害
うつ病を患っていたことが
分かりました。

 

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高橋さんに異変が出始めたのは
1996年の頃。奇しくも
大ヒット曲「ごめんね..」が
リリースされた年でした。

 

急なイライラや冷や汗、
動機、目眩といった
更年期障害に見られる症状が
表れはじめ、同時にうつ病も併発。

 

一時は外出もままならず、
寝たきり状態が続いたそうです。
しかし、周囲や旦那さんの
ヘンリー広瀬さんのサポートもあり
徐々に体調は回復。

 

歌手活動も徐々に
場を増やしていったそうですが
うつ病と更年期障害を
あわせて患ったことから
症状は治ってはまた再発しの
繰り返しだったようです。

 

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また2011年には
東日本大震災が起き、
同年にご友人を
亡くされたことから
再び再発。

 

コンサートなど
いくつか仕事をキャンセルして
体調を見つつの活動を
されていました。

 

更年期障害というのは
体内のホルモンバランスが崩れて
起きる身体性・心象性の病気。

 

筆者、気になったのが
高橋さん、激ヤセももちろんですが
お肌の調子も以前に比べ、
少し荒れてきたように思います。

 

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更年期障害になると
体内のバランスの不調から
肌にも結構影響が出やすく、
非常にやっかいな病気だそうです。

 

更年期障害やうつ病が
激やせの理由かは
正式に明かされていませんが、
うつ病になると食事も
喉を通らなくなることが
多々あるそうなので、
その辺から体重が
減っていたのかもしれません。

 

ご本人も
「筋肉や脂肪がないから
常に氷水に使ってる感じ」と話し、
歌を歌った後には
誰かに支えてもらわないと
歩けないほどだそうです。

 

いずれにしろ、
現在67歳ですから
身体に不調が出ても
おかしくないですよね。

 

それでもこの年で
ステージに立ち続けるのは
むしろすごいことですし、
過去の名曲もほとんど、
キーの高さを変えずに
歌い上げています。

 

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年齢を考えれば、
本当は引退して
ゆっくり穏やかな余生を
送ってほしいとも思いますが、
やっぱり高橋さんのあの
ハスキーな歌声を
これからも聞いていきたい。

 

「ごめんね..」を今
改めて聞いてみると、
これまでは元恋人への
懺悔の歌でしかありませんでしたが
幅広くとらえてみると
ふと忘れていた感情、
人としてあるべき姿のようなものを
思い出させてくれる楽曲です。

 

もしかしたら、この「ごめんね..」は
高橋さんからお母さんにもあてた
楽曲なのかもしれませんね。

 

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現在も年間50本もの公演を
こなしている高橋真梨子さん。
この人がいなくなったら
本当に悲しいです。

 

自分のペースでいい。
どうか、ご無理はせず
これからもその歌声を
長く広く、世の中に
届けていって欲しいなと
改めて思いました。

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最後まで読んで頂き、有難うございます。


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