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植村直己の最後や子供について!冒険物語の内容や名言のまとめ!

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こんばんはJINです!4月16日放送の「歴史秘話ヒストリア」という番組で、冒険家の植村直己さんが特集されます。北極圏を犬ぞりで横断するというチャレンジをした彼の半生からその最後、また名言などをまとめて調べてみました!感動的な物語です!

 

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まずは植村直己さんの簡単なプロフィールがこちら!

 

植村直己プロフィール

 

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名前:植村直己(うえむらなおみ)

出身:兵庫県豊岡市

年齢:満43歳?

生年月日:1941年2月12日

没年:1984年2月13日頃

 

生い立ち

 

植村さんは少年期より
登山家の加藤文太郎さんに憧れ
学校行事で登った蘇武岳を
皮切りに但馬の嶺々への
山行を始めるようになります。

 

高校は兵庫県立豊岡高等学校
卒業しており、一旦就職するも
翌年に明治大学農学部
農産製造学科に入学します。

 

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そこで山岳部へ入部してからは
登山に没頭し、同じ明治大学山岳部の
小林正尚氏のアラスカ旅行で
氷河を見て来た話を聞いて、
海外の山へも憧憬を
抱くようになりました。

 

植村さんの祖父は昔から
損得・金勘定抜きで
困っている人を助ける性格でした。

 

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植村さん自身もその性格を
引いており、登山隊に加わる時には
トップに立ちたいという想いを持ちながらも、
自分が主役になるよりは
常にメンバーを影でサポート
するような立場に立ったそうです。

 

小学校時代は結構いらずらっ子で
大人を悩ませていたそうですが
ガキ大将というわけではなく、
むしろ地味な子だったとか。

 

登山家と言われるので
その才能が幼少期から
あったのかと思いきや、
山岳部時代にはコロコロと
しょっちゅう転ぶことから
ドングリ」というあだ名だったそうですw、

 

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そのため、入部当時は
馬鹿にされていましたが、
仲間と肩を並べたいと密かに
日本の山岳行を繰り返し、
その努力が実って
サブリーダーにまでなっています。

 

また、性格はその冒険の
成功の功績から
大胆不敵な面が表出ていますが
実際には人一倍臆病な性格。

 

石橋はたたいて渡る人だそうで、
十分な計画と準備を経て
必ず成功するという目算なしには
決して実行しなかったそうです。

 

こうして登山に没頭し、
1970年には世界中有名
山々を登頂して、ついには
世界初の「五大陸最高峰登頂者
となりました!

 

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すごいですね!世界初ですよ?
「ドングリ」と馬鹿にされた少年が
世界の山を制覇するなんて。
本当に努力の賜物ですね。

 

その後、植村さんは
山以外にも興味を抱くようになり
世界中を旅するようになります。

 

そして、この頃から植村さんは
南極横断への夢を抱き始め、
少しずつ実現のための
準備を始めます。

 

まず手始めに1971年に
南極横断距離3000kmを体感する為、
同距離となる北海道稚内市から
鹿児島までの国内縦断を
徒歩51日間で実現させました。

 

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見事に日本の北から南です!!
それを徒歩ってすごいですね。

 

筆者も昔、100knハイクというのを
体験したことありますが
1週間まともに歩けませんでした。
その何十倍にも距離も
歩くなんて、本当にスゴイです!!

 

そして1974年12月から
1976年5月までの1年半かけて
南極ではなく、北極圏12000kmの
犬ぞり探検に成功します!

 

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犬ぞりを操っての北極点単独行を
成功させたのは植村さんが
人類史上初でした!

 

そしてその後、日本人として初めて
ナショナル・ジオグラフィック」の
表紙を飾ったのです!

 

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その後、グリーンランド縦断にも成功し、
その業績が讃えられて1979年、
イギリス王室ビクトリア・スポーツ・クラブから
優れた冒険家に贈られる
バラー・イン・スポーツ賞」を受賞!
世界的な名声と評価を獲得しました。

 

冒険物語

 

北極圏を犬ぞりで
横断したことで
一躍有名になった植村さん。

 

しかし、犬ぞりの横断は
そんなに生易しいものでは
ありませんでした。

 

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犬ですから
人間と違ってすんなると
言うことを聴いてはくれないし
ホッキョクグマからの
襲撃の恐れもありました。

 

実は犬ぞりをするためには
リーダーとなる犬の役割が
非常に重要になるそうです。

 

先頭を走るリーダー犬に
実力があると後ろからついてくる
他の犬達はそれに従うのですが、
そうでない場合は
バラバラになってしまいます。

 

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植村さんはリーダー犬として、
どの犬ともケンカをしない
メス犬の「アンナ」を選びました。
とても忠実で勇敢で、
そして、温厚な犬でした。

 

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ある日、犬の綱が絡まったので、
縺れを解いた時のこと。
一斉に全部の犬たちがバラバラに
逃げ出してしまいました。

 

しかも、リーダー犬のアンナまでもが
どこかへ去って行ってしまったんです。

 

一人、氷と雪の北極の大地に
取り残された植村さん。
移動手段もなく、360度が
見渡す限りの氷の世界。

 

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絶体絶命のピンチに
呆然としていると、
ふと地平線の彼方から
何者かがやってきました。

 

なんと、逃げ出した他の犬達を
引き連れて、帰ってきた
アンナの姿でした。

 

アンナは実は逃げたのではなく、
他の犬達を連れ戻すために
追いかけていったんです。

 

アンナが見せた忠実さを
少しでも疑ったことを植村さんは
ひどく恥じました。

 

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まさにアンナの忠誠心が
植村さんの横断を
成功へと導いたのでした。

 

最後について

 

そして、植村さんは
その後、1984年2月12日に、
世界で初となるマッキンリーの
冬期単独登頂を果たした

 

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しかし、、翌日の2月13日に
行われた交信を最後に連絡が
取れなくなり、消息不明となりました。

 

3日後の2月16日、小型飛行機が
捜索に行ったところ、植村さんらしく人物が
手を振っているのが確認されましたが、
天候が悪く、視界も悪かったので
救出することができずに
見失ってしまったのです。

 

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しかし、雪洞に大量の装備が
残されていたことから、
これは誤認である可能性が高いと
今現在も考えられています。

 

その後、2度の捜索の甲斐もむなしく、
植村さんは発見されることはなく、
時間だけが無情に過ぎていき、
やがて生存の確率は0%とされて
捜索は打ち切りとなりました。

 

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今現在も遺体は
発見されておらず、
最後に消息が確認された
1984年2月13日が
植村さんの命日とされています。
43歳でした。

 

結婚と子供

 

植村さんは
ご結婚はされていたそうですが
お子さんはいらっしゃらなかったそうです。

 

奥さんの名前は
公子さんとおっしゃるそうで
夫婦二人だけの生活は
植村さんわずか43歳で
終わってしまいました。

 

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公子さんも夫の登山は
応援していたでしょうが
気が気でなかったと思います。

 

そして、その悪い予感が
当たるような出来事になり
本当にお辛かったでしょうね。

 

名言

 

植村さんの多くの
名言が今も語り継がれています。
そちらをまとめてみました!

 

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「探検家になるために必要な資質は
臆病者であることです。」

 

「この厳しい壁も、
きっとオレは生きぬけられるぞ、
と自分にいいきかせた。」

 

「山登りを優劣で
みてはいけないと思う。
要は、どんな小さなハイキング的な
山であっても、登る人自身が
登り終えた後も深く心に残る
登山がほんとうだと思う」

 

「ひとつのものが終わると、
またつぎの新しいものがはじまる。
私の気持はいつも新鮮だ」

 

「苦労が大きければ大きいほど、
後でそれに比例した大きな喜びが
返ってくるものなのだ」

 

 

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植村さんの人柄が
大きくにじみ出てる言葉ですね。
同時に本当に山が
好きだったんだなというのが
伝わってきます。

 

今も山に眠っている植村さん。
素敵な冒険をありがとう!

 

関連してアルピニストの
野口健さんについても
こちらに書いてますので
良かったらどうぞ!

野口健の結婚や兄について!イモトに苦言?アウトな性格がスゴイ!

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最後まで読んで頂き、有難うございます。


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